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2025.01.24ニッポン上げろ!

第462号(2024/1/17)よりそう 1.17

※この記事は沈下修正の専門家アップコンの社長メルマガ〔ニッポン上げろ!〕のバックナンバーです。
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こんにちは!
コンクリートを上げるからアップコンの松藤です。

あの日から30年。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。
マグニチュード7.3、最大震度7の激震です。
死者は6,434人にも及びました。
改めて被災された方々へお悔やみ申し上げます。

震災の記憶は忘れてはならず、
語り継がれていかなくてはならないと思います。

この時、私はオーストラリアのシドニーで生活していました。
30代で仕事もプライベートも非常に充実した生活を送っていました。
その時、朝のTVニュースで阪神・淡路大震災のことを知ることになりました。
シドニーはこの時期サマータイム期間中で日本とは2時間の時差があり、
日本の朝5時46分はシドニーの朝7時46分となります。
ちょうど勤めていたオーストラリアの建築設計事務所へ出勤する前
テレビを見ながら朝食をとっている時間でした。
いつもはスポーツニュースに時間を多くとっている番組も
臨時で日本の大災害を伝えます。
多くのオーストラリア人は日本が大好きです。
当時はオーストラリア人の第2言語は日本語を選択するという人が
一番多かったです。
経済的にも当時、日本はオーストラリアにとって最大の貿易相手国であり、
日本からの投資は、オーストラリア経済の発展において
重要な役割を果たしていました。

そのような時に日本での大災害が報道され、
設計事務所へ出社した私は、
会社のオーストラリア人から

「NOBUの家族は大丈夫か?」

と何人も何人もの人から心配されました。
みんな本当に日本の地震のことを心配していて

「何か私たちにできることがあったら何でも言ってくれ。」

と声をかけてくれました。
私が尊敬する事務所の社長のリチャードは

「いつでも日本に戻って家族の面倒を見てきなさい。
飛行機代も宿泊費も全部会社で出すから気にしなくていいよ。」

とまで言ってくれました。
幸い私の家族・親戚は震災エリアには住んでおらず、
直接被災した人はいませんでした。
事務所のロビーでは早速、募金活動が始まりました。
初日で2,000ドルくらい、1週間で5,000ドルくらいが
事務所のスタッフと来社したお客様から集められ
寄付されることになりました。

もう一つ。

シドニーで駐在員として働いていた
日本の大手建設会社のNさんのことを思い出します。
Nさんと私は一緒に釣りをしたりゴルフをしたり飲みに行ったりと
大変仲の良い関係でした。
Nさんはシドニーへ単身赴任で来ており、
ご家族が被災されました。
すぐに帰国の手続きのために日本の本社へ連絡すると、
帰国の許可が下りません。

理由は

「駐在員が一人しかいないため、
彼がオーストラリアを離れると業務に支障が出る」

ということでした。
何度も本社とやり取りをしても結論は変わりませんでした。
Nさんは激怒し、私に電話越しに会社への不満を漏らしていました。
最終的には震災3日後に彼は帰国しました。
業務命令を無視しての帰国です。
当時は同じような状況の人が多く、
日本行きの飛行機のチケットは奪い合いになっていました。
3日間、彼は一刻も早く家族のもとへ帰りたいと思っていたことでしょう。
2か月後、日本にいるNさんから私へ電話がありました。

「もうシドニーには戻らないから」
「会社は辞めました」

ということでした。
帰国後、彼は会社の対応に意見を述べ、辞職しました。

有事の際の会社の対応について考えさせられます。

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