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2023.10.12ニッポン上げろ!

第326号(2023/10/6発行)どっち?・その2

※この記事は沈下修正の専門家アップコンの社長メルマガ〔ニッポン上げろ!〕のバックナンバーです。
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こんにちは!
コンクリートを上げるからアップコンの松藤です。  

【アップコン起業秘話】第324号(2023/9/29発行)どっち?・その1の続きです。
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2003年3月。
前職を退社して1か月半ほど経ちました。
充電期間と称しながら何もしない生活にも

そろそろ疲れ始めてきました。

もちろん、全く何もしないでブラブラしていたわけではありません。
生活を懸賞探しにシフトして、
時間があればパソコンの前に座っていました。
これは見た目は非常に都合よく、
家族からはネットを使って一生懸命職探しをしているのだろう、
と思われていたのかもしれません。

もう一つ時間を使っていたのは前職への貸付金の整理です。
領収書を整理してみると約300万円ほどになります。
失職中の身には300万円という金額は大変貴重です。
これを返済してもらうためにDIへ手紙を出します。

しかし、なんら返事が来ません。

シドニーの“彼”へも手紙を出します。
が、これも同じです。

DIへは請求書を配達証明書付きの書留郵便でも送りましたが、
受け取りはされてもそれに対しての返事は帰ってきません。
無視されています。

ネットで請求の仕方を調べます。
と同時に弁護士に依頼したほうが良いのかとも思ったので
弁護士への相談の仕方なども調べていました。
こうして無駄な時間がどんどん費やされていました。

3月の後半になって、

やっと仕事を探してみようかなと思うようになってきました。
私の場合、失業保険も出ず、
時間の経過とともにお金は減り続けていきます。
実家に住んでいるので家賃はかからなくとも、
家族の生活費は当然かかってきます。
ようやくネットで職探しを始めました。

職探しは私の人生で2回目となります。
1回目はニューヨークにある
プラットインスティテュート大学院を卒業した年でした。
日本の武蔵工業大学(現東京都市大学)を卒業して

そのまま大学の研究室の研究補助員という形で就職し、
その後1年で辞めて大学院で勉強することになったため、
大学院卒業時の1988年が1回目の就職活動の時期でした。


当時のアメリカは大不況でした。
大学院の建築学科を卒業した学生でも
レジュメ(履歴書)を100社に送って1社から返事が来れば
ラッキーなどと言われていました。
私の場合はインテリアデザインを専攻していたので
少しは状況が違っていたのかもしれません。
アメリカは不景気でも当時のインテリアデザインは
アメリカとイギリスが世界のナンバー1・2で競い合っていた時代です。
大学もプラットインスティテュートと
ロンドンのAAAスクールが1・2でした。
ちなみに当時日本にはインテリアデザインを教えている大学はありませんでした。)
プラットのインテリアデザイン卒業という経歴は
非常に強力な武器となっていました。


私の場合、送った20のレジュメはすべてパスし、
面接をすることになりました。
その中で1番最初に契約が決まったのが
シドニーのトラビス・パートナーズという建築設計事務所でした。
ランドマークタワーの設計者であるスタビンスの事務所とか、
SOM(スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル)とかへ入っていたら、
私の人生はまた全く違ったものであったことは確かだと思います。
それくらい、就職は人生を左右する大きな要因です。

今、私は人生で2回目の職探しをし始めました。

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